真宗 興正派 光教寺
お仏壇の荘厳(おかざり)
日本では古くから各家庭にお仏壇が設けられていました。
現在、客間など部屋の装飾になっている床の間は、本来はご本尊を安置するお仏壇だったのです。
香炉(こうろ)や生け花を床の間に置くという習慣はその名残りです。
ですから、お仏壇は家の中のもっともよい場所を選んで安置すべきです。
本来、東向き西面して礼拝するように安置するのですが、建物の構造上、必ずしもその限りではありません。
お仏壇は精神の帰依処(よりどころ)であり、家庭のこころの象徴です。この本義を忘れないようにしましょう。
お仏壇や仏具を年忌でもない平常の時に迎えると、死者が出るなどと忌(い)んだりおそれたりする人がいますが全くの迷信です。
家庭のこころを迎えるのに何の忌むことがありましょう。
真実を知り、そうした迷いを打ち破ることこそ仏法なのです。
お仏壇を安置する方向やお迎えの時期にいわれもない迷信にとらわれてこころを労するより、お仏壇を大切にし、しかも正しい荘厳(おかざり)をすることに気を配っていただきたいものです
ご本尊の掛け方
ご本尊は阿弥陀如来のお名号・ご絵像・ご木像のいずれかを安置します。ご本尊の向かって右側は「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号(または「親鸞聖人のご絵像」)。左側は「南無不可思議光如来」の九字名号(または「本寂上人のご絵像」)をお掛けします
おつとめの作法
朝夕のおつとめ
朝のおつとめは、朝食前にお仏飯をお供えし、お灯明・お香をあげ、「正信偈」をおつとめします。本山から出版されている『同朋聖典』に掲載されている「讃仏偈」「重誓偈」をおつとめするのもよいでしょう。夕のおつとめも家族そろってお参りしましょう。
家族がそろって手を合わせる場所はお仏壇です。そこで亡き人を通じて私たちは「いのち」の尊さに気づかされるのです。浄土真宗のご本尊である阿弥陀さまに家族みんなが手を合わせることで「いのち」を大切にするこころが必ず育てられるのです。
拝読の作法
「正信偈」や『阿弥陀経』などを拝読する時は、お経本を両手でもって目の高さまで上げ、頭を少し下げていただき、胸の前で開きます。拝読の終わりにも同じようにいただいてから閉じて、元に戻します。
お経本や数珠は直接畳の上(直接足の裏が触れるところ)に置かないようにしましょう。経卓かお盆の上に置いて粗末にならないように気をつけてください。親戚の法事などに出席した時には、ハンカチなどの上に置くのも一つの方法です。
合掌・礼拝の作法
合掌は両手を胸の前であわせます。このとき、左右の指を開いたり組み合わせたりするのはよくありません。親指以外の四本の指はきちんとそろえ、親指との間に数珠を掛け軽く親指で押さえます。
手をあわす位置が高すぎるのもよくありません。両手とも手首が「みぞおち」に位置するのがよいでしょう。数珠は房が下になるように掛けて下さい。目線はご本尊の足元に置くのが作法です。
礼拝は合掌したまま、数回「南無阿弥陀仏」と称えてから上体を前に倒します。礼拝の長さは、ひと呼吸半くらいで元の姿勢にかえるのがよいでしょう。
本来数珠は百八つの玉からできており、これは煩悩の数をあらわしています。一般にはもちやすいように玉の数を省略した数珠もあります。
数珠を掌ですりあわせる宗旨もありますが、それは煩悩をすりけずるという意味からきています。真宗では合掌した手に数珠を掛けるだけです。これは「正信偈」に「不断煩悩得涅槃」とありますように、煩悩がそのままさとりの智慧となるからです。煩悩をけずるのではなく、煩悩がそのまま本願に出遇うご縁となるのです。煩悩まみれの自分には、ご本尊に手をあわすほかないのです。ほれぼれと手をあわすところに百八つの煩悩が本願のもとで法の輪となるのです。